「アメリカロボット歴史を語る」シリーズ  No.1

著者:大永 英明

アメリカに留学して卒業後、私が就職したところは、世界初の産業用ロボットのメーカー、Unimation, Inc. (ユニメーション社) でした。「ロボット」が現実世界に存在するものだと知らなかった私は、本当にロボット会社なのか、実は玩具のメーカーなのではないかと疑心暗鬼に襲われながらコネチカット州で行われた面接に臨みました。その日のことは今でもまるで昨日のことの様に思い出されます。

面接の時にロボットのパンフレットをいただいたのですが、その中に「ユニメート」というロボットのカバー写真がありました。その写真をよく見ているとそのロボットの肩あたりに馴染みのあるロゴがあることに気が付いたのです。なんとそれは川崎重工のロゴ!当時、ユニメーション社の技術提携先であった川重のロゴの入った写真でした。神戸出身の私にとっては、馴染みの明石に大きな工場を持つ川重!日本の著名で優秀な企業へ技術を提供している会社なら大丈夫だろうと、前日までのモヤモヤは何処ともなく、私はもうすでに就職する気満々になっていました (笑)。功を奏して、日本と技術提携をしているが故、リエイゾン・エンジニアとして日本語の出来るエンジニアを探していた会社にとって、最新の電気工学を学び、マイクロプロセッサーなどの知識を持っているバイリンガルの私はめっけもの。という事で即決採用!でした。

さて、本日第一回目は、その頃の話からず〜と飛んで、私がロボット業界で尊敬しているユニメーションの社長であり、「産業用ロボットの父」である、Joseph Engelberger氏 (ジョセフ・エンゲルバーガー)の次に尊敬しているカリフォルニア在住の二人の起業家についてのお話をしたいと思います。(話が飛ぶ理由は最近、タイムリーなイベントがあったからです。)

今や世界のイノベーションの発祥地として騒がれているシリコンバレー、そこに所在する超有名大学といえばやはり「スタンフォード大学」です。そこのAIラボ(70年代から人工知能の研究ラボはあったのです。)の研究者であった、Victor Scheinman氏(ビクター・シェインマン)(https://en.wikipedia.org/wiki/Victor_Scheinman)が設立したVic Armという会社をユニメーション社が買収したところに遡ります。(彼の設計したロボットは現在もスタンフォード大学のGates Building (コンピューター・サイエンス学部)のロビーに飾られています。)

その会社がユニメーション西海岸ロボット研究所として新しい研究などを始め、そこで完成したのがPUMAというロボットと世界初のロボット言語VALです。ビクターはその後、理由があって退職しました。(その辺りの話は、また別の機会に…)

その後、西海岸研究所の所長に就任したのがビクターの下でVic Arm開発に携わっていたスタンフォード大学大学院生から社員となったBrian Carlisle氏 (ブライアン・カーライル)。そして、彼の良きパートナーである、ソフトの天才でVALの開発者でもある, Bruce Shimano氏 (ブルース・シマノ)。この両者で立ち上げたベンチャーが本日のブログのテーマとなります。

当時、私はユニメーション社の本社があるコネチカット州のダンバリー市で開発エンジニアとして制御装置の開発をしていました。上場したユニメーション社をアメリカの大企業ウェスティングハウス社が1982年に$107Mで買収したのです。ウェスティングハウスはこれからこの最新技術と製品をベースにいかに戦略を組むべきかと、週一で本社のあるピッツバーグ研究所で、分野毎のTask Force Teamを編成してブレインストームセッションを数ヶ月行っていました。ブライアンと当時の私の上司だったリックはメカのチーム、私とブルースは制御のチーム。という事で、当時、コネチカットからピッツバーグへのフライトが多かったので、メインに使用したUSAirのマイレージがいっぱい貯まったことを今でも覚えています。

さて(また話が脱線してしまいましたが)、ここからがメインの話です。数ヶ月の戦略ミーティングの結果、ブライアンとブルースは、ロボット事業はまだ幼年期にあり、大企業のカルチャーの中で育つものではないと判断し、西海岸研究所をスピンアウトさせ、二人が共同創立者となり、ベンチャー企業、Adept Technology, Inc. (アデプト・テクノロジー社)を誕生させました。ここで、世界初のダイレクトドライブのロボット製品が生まれたわけです。

開発した「Unimate PUMA」がスミソニアン博物館で展示されることが決まった際の写真。左から)故ジョセフ・エンゲルバーガー氏、ブライアン・カーライル氏、ブルース・シマノ氏、故ビクター・シャインマン氏。
画像出典:スミソニアン、Emerald Publishing
https://www.roboticsbusinessreview.com/interview/the-essential-interview-brian-carlisle-on-early-cobots-precision-assembly/

私はといえば、その後、ウェスティングハウスがヨーロッパの会社に身売りをする事になったため、当時、技術部長をしていた私と同僚とでシステムインテグレーションの会社を設立しました。(未だ、その会社は健在。)しかし、アデプト・テクノロジーとして出発したブルースから電話をもらい、日本進出をしたいので、アデプトジャパンを作って欲しいという依頼を受け、システム・インテグレーションの会社を抜け、日本へ出発!日本に5年滞在後、アメリカに帰国しました。(アデプトジャパンの話もまた別の機会に…)

2人との思い出は尽きることがなく、ブルースとは川重でのミーティングに一緒に行く時、新幹線の中でずっとコンベア追従のための方程式を解いていたことが思い出されます。彼は日系4世 (?) で日本人の顔をしているので、成田で誰も親切にしてくれなかったとの思い出があることを話してくれました。ブライアンとはアデプトジャパンに駐在中に同行営業とかサプライヤーとの会食など沢山の思い出があります。熊本のサプライヤーとの会食では、サプライヤーのH社長が、「ブライアンさんは馬刺しを食べれるだろうか?」「さあ、どうでしょう?」「では、食べ終わってから事後説明をしよう。」という話になり、食事が始まりました。「これは、熊本の名物です。さあ、召し上がってください。」ブライアンはおいしそうに食べ、何の肉なのかをH社長に尋ねました。「これは馬刺しといって、馬肉です。美味しいでしょう?」「...美味しいですけど.....私の妻には食べた事は、内緒にお願いします。」「どうしてですか?」「妻は乗馬をしているので、きっと嫌われる!」とアメリカ人らしく愛妻家ぶりをアピール! (こんな感じで、思い出はいっぱい!!)

その後、アデプト・テクノロジーは上場を果たしました。その頃に社員になっていた私はストックオプションだとか従業員自社株購入プログラムとかいろいろと恩恵があったはずなのですが、2000年のITクラッシュと私の投資に対する無知さのおかげで、紙切れ同然に。。。涙

その2000年のITクラッシュにより、創業者の二人はアデプト・テクノロジーから追い出される事になりました。私も二人に誘われて入社したので、彼らの居ないアデプトには興味がなく、2004年に退社し、イノベーション・マトリックス社を同僚と設立したのです。ブライアンとブルースはPrecise Automation(プリサイス・オートメーション)という会社を立ち上げ、協働ロボットとOEMロボット制御装置のメーカーとして進み始めました。多分、ロボット業界に興味をお持ちの方はご存知だと思いますが、アデプトは2015年に日本のオムロンによって買収されました。(私はまだ行方不明のアデプトの株を持っているのですが、オムロンさんは支払ってくれるのでしょうか?毎日電話の前で連絡が来るのをまっています。)

当然のことながら、弊社は彼らの製品を取り扱う関係となりました。VAL、V+(アデプトバージョン)の知識をWindows NTの環境で展開していったのです。単に使いやすいロボットを開発するだけでなく、生命科学に特化したロボットの開発を始める事になりました。

そして、苦節17年、そろそろ引退に近い年になった我々の目標としてのExitが先週、達成されました。半導体ロボットのトップメーカーであるBrooks Automation (ブルックス・オートメーション)がプリサイス・オートメーション社を買収し、子会社化が決定したのです。https://brooks.investorroom.com/2021-04-26-Brooks-Announces-Agreement-to-Acquire-Precise-Automation

という事で、ブライアンとブルースの二人は、この40年弱の間にハンズオンで育てたロボットメーカーを二つも、Exitさせたのです!! 上場、そして買収!単なるシリアル起業家でなく、ハンズオンで育てながら目標を達成させた二人に乾杯!そして何より素晴らしくロボットを愛している二人に乾杯!これからもシリコンバレーでは二人のレジェンドの話は語られていくことでしょう。今日はカリフォルニア・ワインが美味しそうだ。

”Brian and Bruce, Congratulations!!”